大体3記事書けるかというのが自分のブレイクポイント
いつもブログを始めては、二日目くらいで「うそ、私の記事、意味ない?」と思い、次にこのブログは一生誰にも見られないだろうと思い、3記事目を投稿するまえにブログを消してしまう。
そんなことをもう何回も繰り返してきた。
何年も繰り返してきた。
そんな日常に終止符を打ちたい。
そんな人生に終止符を打ちたい。
自分だって継続ができる人間であるということを、自分自身で認めたい。
そんな3つ目の記事。
もし何かあって、一人でも、誰かの目に私の書いた記事が誰かの目に触れるようになったら。
私はこの記事を見て、ここでやめなくてよかった、と思うのだ。
もし何もなく、何年経っても、一人として私の書き物を見なかった、そんな結末になっても。
私はこの記事を見て、それでも頑張ったと胸を張るのだ。
ここでやめてしまったら。
自己満足すらできない。
そう、自己満足をするのだ。
自己満足するには、つまり、当たり前だが、自分が満足できるだけやらなければならない。
それは楽ではない。
心も辛い。
意味があるのかもわからない。
しかし、ここで終わっては。また、終わりにしてしまっては。
何もない。
何もない。
何もないが、また来る。
辛いことより恐ろしい、
死ぬことより恐ろしい、
何もないがまたきてしまう。
何もない中で、死んでしまう。
それだけは嫌だ、そう決心したのだ。
何もないのなかで、確実に何かを欲して、立ち上がったのだ。
まだ座りはしない。
自分を変えるなんて、大それたこと思っちゃいない。
ただ、走るだけ。
走れるだけ走って。
走れなくなったら、歩いて。
歩けなくなったら、貼って。
そうして、どうしようもなくなって、座り込むまで。
そうして振り返る景色が、みたい。
この四畳間の暗闇ではない、景色があるのだろうか。
あるのなら、どうか。
僕は、公開ボタンを押した。